母メモ

本日は大変お忙しい中、ご会葬いただきありがとうございました。

賑やかなことが大好きだった母なので、大勢の方にお見送りしていただいて大変喜んでいると思います。

母は、大正生まれという時代の影響もありまして、幼い頃から働き者だったということを自慢にしておりました。

とにかく子供の頃からよく働いて、若い頃は親を助けるために働き続け、結婚してからは家業の魚屋の嫁として働き、離婚後は4人の娘たちを女手一つで育てるために働き続けました。

愚直という言葉がぴったりなほどに正直で実直で、コツコツ、コツコツ働き続け頑張り続ける母の背中を見ながら、私達は育ちました。

とても健康で丈夫な母が、55歳で脳腫瘍を患いました。頭蓋骨の半分をパカッと割って腫瘍を取り出す、生死を分ける大手術でした。

取り出した腫瘍は米ナスほどの大きさがあって「こんなに大きな腫瘍になるには30年ぐらいはかかっています」と言われました。

その間、きっと頭が痛かったり、何らかの不調があったはずなのに、母は一言もそういうことを言わずに働き続けていたのです。

術後はお医者様はじめ周りの皆が驚くほど、驚異的な回復力でなんの後遺症もなく見事に健康を取り戻しました。

それから母もヨーガを始めました。

ヨーガでどんどん元気になって、料理に夢中になり、家族が喜ぶものを色々と工夫してはたくさん作って、まるで田舎の農家のおばさんが背中いっぱいに野菜をしょって、都会に売りにくるような姿で、嬉しそうに私達娘四人の家を順番に届けてくれました。

それは80代の半ばまで続きました。母の人生の黄金期でした。

そういうある時、私が母と二人きっりでいた時に、母がめずらしく暗く物憂げな顔をして「誰にも言っていないんだけど、実は悩んでいることがあるの。どうしたらいいのかしら。。。。」と言うのです。

この頃母は「お腹が痛い、お腹が痛い」ということがよくあったので、私は内心、ガンかまたは別の何か悪い病気でも判明したのかと思って、動揺して、ドキドキしながら、けれど私は家長として何があっても母を守るという覚悟を持って生きてきたので、意を決して「なあに?お母さん、何でも手伝うわよ」と言いました。

そしたら、「最近ね、顔にシミができちゃったのよ、やあね〜! どうしたらいいの?」というのです。

母が85歳の日の会話です。
そういう天然の可愛らしさを最期まで持ち続けた母でした。


先週の5月31日に突然意識不明の昏睡状態となり、5日間眠り続けて、その眠りのままに92歳の天寿を全うし、息を引き取りました。

棺に入ったいまは旅立ちの決意が見えるキリッとした顔になっていますが、亡くなった時は、安らかな穏やかな幸せそのものの笑顔で、シミもない美しい母の寝顔のままに今日の旅立ちを迎えることができました。

ひとえに皆様方の母に対する愛情とサポートのお陰でございます。

母が本当にお世話になり、ありがとうございました。

おととい、母の家の仏壇のお掃除をしていましたら、一枚の紙切れがぱらっと落ちてきて、そこには母の、小学生よりもつたない稚拙な文字でひらがなで、「一生けんめい生きる。生きるをかみしめる」と書いてありました。

母からのメッセージとして受け止め、私たちも生きているこの時を噛み締めながら、一生懸命生きて精進してまいります。

今後とも母同様に、どうぞよろしくお願い申し上げます。
本日は本当にありがとうございました。


ヨーガ教室主宰 紙やまさみ
平成30年6月9日亡き母の告別式で